植田憲太郎とは

このインタビューは歯科医師植田憲太郎の考え方や事業への理念を知るために、一般社団法人医業保全協会(代表理事 待鳥秀峰)により聞き取りが行われ、2021年に記事が作成されました。(内容は当時のものです)
【植田憲太郎とは】
話し手:植田憲太郎
聞き手:待鳥秀峰
編集:吉田馨
  • (待鳥)植田先生とは私が医学部専門予備校の運営業務をしていたころからの顔見知りです。当時植田先生は講師として週に1回講義をしにこられるだけで、開院するまでほとんどお話しすることがない間柄でした。開院と私の事業独立が偶然に同じ時期に重なり、それがご縁で仕事をご一緒にする機会がでてきました。今回のインタビューでは、植田先生の考え方を良く知りたいと思っています。

    植田先生が他所の歯科医院に関わって、勤務歯科医師の育成にかかわる事業をされるときには、どういう理念をもって行動している人なのか、そこは植田先生のクライアント先の院長は気になると思うのです。まずは生い立ちからうかがいたいとおもいます。
  • (植田)私は小中高と堺市で過ごしました。両親は公立小学校の教師でした。医療者などの高所得層の家庭で育ったわけでもなく、ふつうの公立の小中学校に通いました。
  • (待鳥)昔から思っていたのですが、植田先生は誰に対しても丁寧な対応をされますよね。昔の生徒からも非常に人気でした。偏見のない姿勢はどこからきているのでしょう。
  • (植田)ありがとうございます。偏見は確かにあまりないのかもしれません。人は勉強できるかできないかの差はあるかもしれませんが、根本にはあまり差はないと思います。今も中学の同級生とは一緒に話をしたり飲みに行ったりします。高校は進学校でしたので様子が少し違いましたが、小中学校時代の友人が多様な社会に暮らす人達であったことは、価値観の形成に良い影響を与えているように思います。

    大学は阪大の歯学部に入りました。箕面に下宿をして吹田キャンパスへ通っていました。

    大学の時は、歯医者さんの勉強にあまり興味がなかったせいかも知れませんが、勉強の内容があまり面白くないと思っていました。でも歯医者さんにはなろうと思ってたので、医師試験を受けました。

    阪大在学中から、東大や京大や医学部受験を目指す受験生のための予備校で講師をしていました。歯科医師になってからも、つい2年前くらいまで講師を続けていました。この時の経験や人とのつながりは今でも大きな影響があると思います。

    研修医になって1,2年は、歯医者の仕事を本当に一生つづけるのかな、と少し疑わしく思っていました。やっていくうちに、そんなに向いてなくもないか、と感じるようになりました。感謝される職業ですし。やり甲斐もありますし。
  • (待鳥)それで今、歯科医師になられて10年ぐらいですね。
  • (植田)大学を卒業してから比較的大きな医療法人で勤務医をしていました。ドクターは20~30人いました。みな将来開業するために、そのクリニックで難しい技術を会得しようとしていました。サバイバル競争が激しい職場でした。そこで一通りの歯科治療ができるようになりました。4年半いて、開業しました。開業して5年です。だからほぼ10年になります。

    その医療法人は、どちらかというと伝統的な治療をする医院でした。最先端の治療ということは、あまりしませんでした。医師が多く人件費もかかりました。だから自由診療の治療費も、それなりの価格でした。自分で開業するときは、同じ自由診療でも価格を押さえて、簡単に治療ができるほうがいいと思いました。通院回数が少なくて、いい治療ができるクリニックを組み立ててきたつもりです。
  • (待鳥)先生の医院は院内のICT環境に最初から投資しましたよね。
  • (植田)開院当初からセレックを入れたりして積極的に新しい道具を使うことを心がけてきました。この数年でCADCAMも含めて歯科の情報技術革新は相当のものです。最近ではAIを使って治療ができますよね。草創期からこういった技術を活用してきた経験から、先輩や同世代の歯科医師から相談を受けることも増えてきました。新しい技術を使いこなすとこれまで長年の経験が必要だった治療でも、短期間で未経験の歯科医師ができるようになります。勤務医を育てたり、衛生士さんや技工士さんにどう動いてもらえばいいかを、コンサルティングしてみようと思ったのはこの実感からです。
【「うえだ歯科クリニック」と「HANA Intelligence歯科・矯正歯科」】
  • (待鳥)まず本院を箕面に開業されましたね。
  • (植田)学生時代は小野原に下宿をしていました。静かで、おとなしい人が多く、街並みも好きでした。「この街が好き」という気持ちは、仕事に影響が大きいです。仕事をしている間、長い時間ずっといる場所なので、心が落ち着く場所で開業したかったのです。

    UDCを開業するなら北摂、できたら阪大のまわりと考えていました。箕面は、阪大生に知ってもらいやすい場所です。大学まで近いので、歯学部生と接点があれば、バイトにきてもらいやすい。箕面の病院に特有な事情でしょうか。阪大村みたいな感じもする。英語の勉強を続けていたので、外国人の患者さんにも対応できることに、強みを出せるとも思いました。
  • (待鳥)先生はいつごろから、これほど事業を大きくしたり、もしくは事業の目標をこうしようと定めたのですか。
  • (植田)最初に箕面で起業したとき、大阪市内に分院をひとつ作ろうかなと漠然と思っていました。どんな分院にするかは、その時には決めていませんでした。誰かに教えに行くことは、まったく考えていませんでした。実際に医院運営にあたり、自分だけが治療するのではなく、勤務医の先生を雇うことは決めていました。そうやって育てて生え抜きのドクターがいい感じに育ってくれたと思うようになったころから、教えにいくことを考えはじめました。

    うちで育ってくれたドクターの人柄は、がつがつしていませんでした。楽に働けたらいいかも知れない、と感じているような子が、しっかり治療をしてくれるようになりました。

    2人の女医さんを育てました。ほかの医院さんをみても、なんでも治療してくれる女医さんは、それほど多くありません。うちのケースは珍しいことのようです。ちゃんとした方法で導けば、やれるようになってくれる。そんな自信になりました。開業して3年ぐらいのことです。その頃「いけるな」と思ったので、動きはじめた気がします。
  • (待鳥)医院を経営される先生は、だいたい自分ひとりで治療する。そこに1,2人ほかの先生にきてもらう、というのが多いと思います。育て上げる先生は、あまりおられません。

    開業から5年で、何人ぐらいのドクターを採用されましたか。
  • (植田)常勤で育てた先生は3人です。まず女性の先生が最初に来られました。1年後に来られたのも女性の先生です。その2年あとに男性の先生が入って来ました。うちは紹介でこられる場合が多いです。3人目の男性の先生は、学生の時からアルバイトに来てくれていたので、元々知っていました。

    その3人以外は非常勤です。非常勤の先生も合わせると、全部で10~15人ぐらいだと思います。
【ユニークな視点】
  • (待鳥)具体的に「医療法人UDC」ではどんなことを行っているのかについて詳しく話していきましょう。
  • (植田)医療法人UDCがやっている治療は、若手の先生にも真似がしやすいです。その割に治療成果が高い。若い生え抜きのドクターに、 大多数の患者さんに満足してもらえるような治療を選択してもらい、提供しています。すごく凝った症例として取り扱うというよりもできるだけシンプルに介入できる治療法を選択するので歯科医師の成長も早い。そうすると、患者さんにレベルの高い治療法を早期に提供できるようになります。クリニックを3,4年やることで、そういう状態にもっていくことができました。


    多くの医院では勤務医の先生と院長の技術に差があります。勤務医の先生の技術は、院長の半分か、三分の一ぐらい。医療法人UDCで取り入れている方法で勤務医の先生を育てることができれば、その医院のマンパワーがアップして、院長を助けることができます。勤務医の先生自身のキャリアアップにもつながります。
  • (待鳥)勤務医の定着に困っておられたり、新人歯科医師の育成に難しさを感じておられる院長も多いと思います。誰でもまったく同様にとはいきませんが、伸び悩んでいる勤務医がおられる場合は、ご相談いただきたいですよね。
  • (植田)ゴットハンドを持つ、天才的な治療ができる先生はほんの一握りです。歯科医はたくさんいます。患者さんもたくさんいます。たくさんの患者さんが困っている。多くの場合は、ぼくらが助けることができます。真似をしやすい技術や、ある程度指導されながらやっていける技術はたくさんの歯科分野であるので、そういうところを広めていけばいいと思っています。
  • (植田)うちにも、他所でなかなかに伸び悩んで来られた勤務医の先生がいましたが、時間はかかったもののしっかりと診療ができるようになりました。そもそも「若手の先生にでも真似ができて」「ある程度均質な診療ができる」そんな治療法を考えていますので、院長先生のご協力があればきっとなんとかなると思っています。勤務医は貴重な存在ですので、「できない人はいらない」「最初からできる人が欲しい」という考えでは、結局勤務医の定着は難しいのではないでしょうか。せっかく働いてくれるようになった勤務医の先生を大事に育てる。そんな考え方をする院長先生が増えたらいいなとも思って始めました。
  • (待鳥)インプラント専門医、口腔外科専門医、歯周病専門医などを採用して、専門医を教える先生はおられます。植田先生は、専門医はとっておられません。臨床、現場で腕をみがき、いろんな道具を使うことに長けていき、それをほかの先生のところへ教えに行く、ということをされています。

    実は、そういう意味では敵が多く、叩かれやすい立場です。裏を返せば、専門医を雇用しなくても、こんなことができる。人が真似をできることを教える、ということですから。

    普通は自分のオリジナリティー、唯一無二というところを推していくものです。植田先生は誰でもできることを推し進める、ユニークな視点だと思います。
  • (植田)ゴットハンドを持つ、天才的な治療ができる先生はほんの一握りです。歯科医はたくさんいます。患者さんもたくさんいます。たくさんの患者さんが困っている。多くの場合は、ぼくらが助けることができます。真似をしやすい技術や、ある程度指導されながらやっていける技術はたくさんの歯科分野であるので、そういうところを広めていけばいいと思っています。
  • (待鳥)その技術を、植田先生はどうやって習得されたのですか。
  • (植田)ほぼ独学です。セミナーや研修会、技術の勉強会へ行って、患者さんと医院の両方にメリットがあるものを取り入れました。簡単に治療ができるものを集めて、独自に組み立ててみました。自分がどのぐらい努力をしたのか、自分ではわからないのですが。

    私達の学問は、商品説明をうける、雑誌であたらいいものをチェックする、ディーラーさんに新しい技術を直接もってきてもらう、メーカーさんに説明しにきてもらう、こういったことでも、勉強はできます。アンテナを張っておけば、常に新しい情報は入ってくる業界です。
  • (待鳥)植田先生は、いろんな本を読んで自己啓発をなさることはないそうですね。植田先生には、手本や理想像が存在しない。その時自分が考えていることにふさわしい形で、ものごとを徹底的に理想形にしていっている気がします。
  • (植田)小学校の時に、ハウツー本は読まないと決めました。それ以後は読みません。楽しい本は読みますけれど。人が言っていることが本になった時点で、2,3年遅れています。それを読んでも仕方ない。遅れているものを読んで考えを作るのではなく、自分で考えたものを、自分の責任のもとで、経験したものからどれが正解か導きたい。

    ネット記事は読みます。「誰かが何か言ってました」というの。本は見出しだけでいいかな、と思います。
  • (待鳥)先生は医院と、Grin合同会社の両方を考えた場合、最終的にどうしたいと思われていますか。現在のビジョンを教えて下さい。
  • (植田)医院は今のやりかたで、分院が増えるかどうかはわかりません。治療は、今やっている歯科治療が、世間で新しいと言われていることをやり続ける医療法人でありたいと思っています。多角経営は考えていません。ノウハウを刷新していきたいです。